0727
この日は苦労していないと死んでしまう教の友人と飲んだ。
1日10時間の勉強が達成できない日は自己嫌悪で死んでしまうらしい。
思うように研究が進まず、結果が残せないのは自分の努力不足だと、自己嫌悪で死んでしまうらしい。
頑張って努力して苦労しないと、死んだおばあちゃんに顔向けできず恥ずかしくて、自己嫌悪で死んでしまうらしい。
せっかく研究をしなくても良い休みの日ができても、役に立つ本や役に立つ映画しか読めないらしく、役に立てないとわかると、自己嫌悪で死んでしまうらしい。
苦労していないと死んでしまう教に入信していないわたしからすると、
なんでそんなに、自分の本心でやりたいことをやっていないのにも関わらず、
本当に達成したい目標や目的がないのにもかかわらず、
好き好んで苦労をしようとしているのが、正直滑稽に思えてしまう。
その苦労した結果に何があるのか。
苦労した事実は残るけど、おそらく何もないよ。
友人は私立大学の理系のM1で来年に就職活動を控えている。
これからどう生きていけばいいか悩んでいるようだった。
どうやら人を幸せにすることをしたいらしい。
そしてその為には尋常じゃない努力が必要らしい。
例としてキングコング西野の社会的事業を挙げてくれた。
彼のように、人より尋常なく努力して、誰もやらないようなことをやって、初めて、人を幸せにすることができるらしい。
大きな勘違いをしているように見える。
「人を幸せにする為に、苦労することは必要条件ではないよ。
現に、こうやってご飯を食べて、お酒飲んで、べちゃくちゃおしゃべりしているだけで、わたしは幸せになってるよ。
ほら、もうすでに人を幸せにできてるじゃん!すごいじゃん!やったねー!!!
苦労する必要なくなっちゃった!!!!!」
そんなことを言ったら、びっくり目を丸くして固まって、2秒くらい経ってから、
顔が歪むくらい大爆笑をしてくれた。
それから、
「おかしい、確かに、人を幸せにする為には苦労は必要ないのかも。
自分が考えてきた論理が成り立たない。
どうしよう。どうしよう。頭が混乱する!」と
40分くらいブツブツ言っていた。
お別れした後、ラインで
「◯◯(私の名前)に出会えて、本当によかった。」
と一言くれて、ちょっとだけホッとして、とても嬉しかった。
自分の信仰の絶対性を崩すことは、大きな苦痛を伴うはずだ。
自分を信じてたものがなくなると、
どう生きていけばいいか、わからなくなるかもしれない。
そんな時はまた、話を聞いてあげようと思った。
人に迷惑かけると死んでしまう教の彼氏とも少し通じるものがあった。